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趣味遊々:大阪てくてく(3)

趣味遊々~同窓会コラム~ vol.27
犬も歩けば史跡にあたる
大阪てくてく

 
第3回「御堂筋」


 大阪てくてく第3回は御堂筋をご紹介します。
 大阪の大動脈とも呼ばれ大阪市内を南北に貫く御堂筋ですが、具体的にはどこからどこまでかご存知ですか?


 北は梅田の阪神前交差点から、南は難波の難波西口交差点までの間の道路が正しい「御堂筋」だそうです。
 距離にして約4キロメートル。
 梅田と難波って案外近いんだなぁと思いますね。


 さて「御堂筋」と聞いて思い浮かぶものはありますか?
 私が思い浮かんだのは「銀杏並木」「御堂筋パレード」「雨の御堂筋」でした(笑)
 それぞれ詳しく取り上げたい思いもありますが、もうちょっと真面目に御堂筋の名前の由来を取り上げます。


 どうしてこの道路が御堂筋と呼ばれるようになったのでしょうか?
 これは非常に単純な理由で「道の南北を結ぶように御堂(お寺のこと)があったから」なんです。


 そもそも御堂筋と言う名前は、大坂夏の陣のあった1615年(江戸時代・元和元年)の記録に既に見ることが出来ます。
 この頃は御堂筋ではなく「淀屋橋筋」と呼ばれることの方が多かったそうですが、御堂筋という名前でも既に呼ばれていたみたいですね。


 さて、名前の由来となった御堂を一つずつ見ていきます。
 まず一つ目は本町の駅より少し北側にある北御堂。


北御堂
淀屋橋~本町間にある北御堂



 北御堂と呼ばれていますがこれは通称で、正式名称は「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院」と言います。
 本願寺という名前からも分かる通り元々は現在の大坂城のある場所に「大坂(石山)本願寺」として建っていたお寺です。
 1496年(室町時代・明応5年)に建てられた大阪本願寺は非常に美しく、寺としてだけではなく、城としての機能も備えていたそうです。
 しかし10年も続いた織田信長との石山合戦に破れ、1580年に大坂本願寺は京都へ移転。
 残った人々が大阪に建てた大坂本願寺の別院が何度か移転を繰り返した結果この場所に落ち着き北御堂となりました。


北御堂本堂
訪れた日は本堂で行事が行われており読経の声が流れていた



北御堂より御堂筋を見下ろす
本堂から御堂筋を見下ろす




 さて次の南御堂は本町の駅から少し南に行ったところにあります。
 ここは寺としてではなく、併設されている御堂会館で様々なイベントが催されていることの方が有名かも知れません。


南御堂
本町~心斎橋間にある南御堂



 北御堂と同じように南御堂というのも通称で、正式名称は真宗大谷派難波別院です。
 こちらは北御堂より若く1595年(安土桃山時代・文禄4年)に豊臣秀吉から土地を贈られ建てられた大谷本願寺が元となっています。
 その後何度かの移転を経て今の場所に落ち着いたそうです。


南御堂本堂
本堂の前が駐車場になっているせいか、北御堂より現代的に感じる



 この「豊臣秀吉から」というところに私は歴史の面白さを感じます。
 織田信長によって追い出された大坂本願寺。そこに大坂城を建てた豊臣秀吉。豊臣秀吉に土地を贈られて建った南御堂――こんな風に並べてみると面白さが伝わりますか?
 昔々のことが今に繋がっていると実感する瞬間をもとめ、町をてくてくと歩いているのかも知れません。


 閑話休題。ところで北御堂・南御堂と並ぶと同じ系列の寺かと思いますよね。
 どちらも浄土真宗の宗派ではありますが、別の教義を掲げる別の団体です。
 しかし宗派に関係なく、二つの寺は大坂の町の人々に「難波の御堂さん」と呼ばれ親しまれていたようです。
 本町周辺の船場の町は豊臣秀吉の時代に大坂城城下町として整備され、大阪のみならず日本の商業の中心となって栄えました。
 その船場において多くの商人から「御堂さんの屋根の見えるところで、鐘の聞こえるところで商売するのが夢である」と言われたほど賑わっていたようです。


 南御堂にはその鐘が残っており今も本堂の脇に設置されています。
 これは大谷本願寺が建てられた1596年に鋳造された鐘で「大谷本願寺」との銘があるそうです。


南御堂の鐘
南御堂の鐘




 話は変わりますが、この南御堂の前にはこんな石碑があります。
芭蕉翁句碑
「芭蕉翁句碑」



 芭蕉といえば言わずと知れた俳人・松尾芭蕉のことですね。
 実は松尾芭蕉は1694年(江戸時代・元禄7年)に南御堂のすぐそばの旅館で病死したそうで、現在の大阪市中央区久太郎町4丁目の辺りと聞けば場所の分かる方もいるかと思います。


 車の絶えない御堂筋を歩きながら、300年余り前に松尾芭蕉も御堂筋を歩いて北御堂・南御堂を訪れていたのかな、と考えると車も人も両脇のビルですら少し遠のくような気分になりました。
 御堂筋を通る機会があればぜひ思い巡らしてみてください。


「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」芭蕉辞世の句





おまけ

南御堂にて
南御堂ではこんなイケメン坊主が出迎えてくれますよ(笑)



わんU・x・U

  1. 2012/03/18(日) |
  2. 趣味遊々

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