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思い出リレー vol.16

2008年度卒業 男性 16歳(入学時)
  
 在学中は、よく学校行事で、運営側として走り回っていました。
 文化祭で仮装した時は、子供が襲い掛かってきた。童心に返って何度も退治された。子供って手加減ないですね。プラスチックのおもちゃだったけな、棒状の何かで何度も殴られた。わりと痛かった。
 ただ下働きをするだけでは退屈なので、準備段階で見つけてたミスを、開始直前までバレないように隠すようなことを、何度もやりました。
 心当たりのある人たちや、当時の生徒会役員さんから、恨まれそうですが。
 案の定、そのミスのせいで、担当の人たちがテンパっていましてね。
 思い返すと結構ヒドい事していますが、何の問題も起きない時よりも、大変な目にあった方が、いい思い出になるでしょう?…たぶん。あれ、もしかして違う?
 なんていうか、トラウマになっていたら、ごめんなさい。
 
 私は昔から、それこそ幼稚園児の頃から、運営側に面白さ感じていたんだと思います。
 例えば、幼い男の子にとってはお馴染みの遊び、ヒーローごっこ。自ら進んで怪人役になってましたから。
 外遊びの時間になる度に、マントをひるがえすヒーロー達の前へ、黒いビニール袋をポンチョのよう着た怪人が立ちはだかり、激戦の末に退治される。
 小学生に入っても相変わらずで、ドッヂボールでは外野、サッカーではディフェンス、その他、審判、タイムキーパー。中学生の時は、部室の掃除と設備強化に身を尽くし、引退して受験が近付くと、自分の勉強そっちのけで、他人の練習問題を作ったりしていました。
 なぜそんなことをやっていたのか、正直わかりません。だけど、そちらの方が、やっていて面白かったのだと思います。
 もしかしたら、オバケ屋敷のようなものかもしれませんね。入って脅かされる客よりも、入ってきた人を脅かすオバケ役が面白い。みたいな?
 まぁ、他の人から見れば、損にみえるような役割を好んでいたのは間違いないでしょうね。
 
 中学を卒業して、なんの目標もなく、なんの意思もなく、私立の進学校に入学しちゃったのが、悪かったんでしょうか。
 そこで人の遊び相手になるということは、一人作業の結果を延々と報告されることでした。
 特に多かったのが、漫画のマニアックな知識や、ゲームのプレイ実績、まぁそんなところですね。
 他人の自慢話に、適当な相槌を打つだけで、次はどうしようとか、そういう工夫を考える必要がないんですよ。退屈でした。
 まぁ、テストはそこそこ点数取れていたのですが、いろいろとチャレンジャー過ぎて、1年目から早速、進級どうするよって事になりました。
 課題や確認テストを白紙提出したり。昼から登校で朝だけの授業が出席不足になったり。ただ単に退屈でやっただけなんですが、教師への嫌がらせっぽいですね。反省、反省。
 
 そんなこんなで、中央高校と出会いました。
 わずかばかりですが、取得単位があったので、編転入試験を受けることになりました。まぁ、あと数単位足りなければ条件外だったので、本当にギリギリでした。
 まぁ、入試については、それなりに「学校のお勉強」はできましたので、サクッとスルー。
 試験当日に、受験生がまさかの生活指導を受けていたのが印象に残っています。あの風景は面白かったです。学園ドラマっぽくて。
 
 実際に入ってみると、わりとみんなマジメにやっていました。
 それを見て、どこに行ってもこんな物か、とりあえず、いろいろやってみよう、と私は考えました。
 ええ、進級リタイアを引き起こしたチャレンジャー精神が、ここにきて再び復活したわけですよ。
 しかしまぁ、進級に響くようなことは、だいたい一度やってしまっているので、そんなにグダグダすることもありませんでした。卒業も、あっさりできました。
 冒頭で触れた学校行事や、他には部活動などに精を注いだわけです。おお、字面だけみると、すごい健全だ。
 
 部活動では、部長も引き受けました。
 資料用意したり、スケジュール考えたりで、裏方仕事をすることが多かったように感じます。
 まぁ、でも、一番印象に残っていることは、部員による部員同士の恋愛ドロドロ愚痴相談ですかね。何度も時間を取られました。
 しかし、あれはあれで、面白いものですよ。
 勘弁してくれ、とかね、うんざりした顔で言っていましたが、もう内心ではゲラゲラ笑っていましたから。
 あの面白さは何なんでしょうね。
 
 そんな感じに毎日わいわい騒いでいると、いつの間にか卒業がやってきました。
 まぁ、だからといって、卒業式で何かあったとか、卒業後にどうかしたとか、特に何もないんですけどね。
 卒業後も気ままに、他人の楽しみに茶々を入れながら、適当に日々を送っております。
 いつかどこかで誰かの楽しみに茶々を入れるかもしれませんが、その時は広い心で一緒に楽しんでくださいな。
 それでは、またどこかで~。




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  1. 2013/06/02(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.15

1998年度卒業 男性 15歳(入学時)
 
 私が中学3年の時、高校への進路を中央高校に向けた理由は、制服がない自由な学校という事と、その中学の学区から抜け出したいという事でした。
 
 その頃在籍していた中学校というのは、阪神大震災により転校生として転入した学校だったので、古くからの友人がいるわけでもなく、また学校の制服が学ランの詰襟だったのです。転校する前に在籍した中学校の制服はブレザーだったので、首の回りがキュウキュウするのが辛かったのです。
 また、キーホルダーなどを鞄に付けることすら、転校先では許されなくなったというのも、少しばかりショックだった事を覚えています。
 
 そんな境遇だったので、高校は転校先から離れた所へ行きたいと強く願うようになりました。そして、当時開校5年目で歴史が浅く、Ⅰ部普通科の倍率が8倍という中央高校でも、この身を委ねてみようと受験にチャレンジしたわけです。
 そのチャレンジが実を結んで中央高校へ入学したわけですが、今でも中央高校へ入学して実に良かったと思っています。特に簿記を勉強できたことは、中央高校で最大の収穫です。
 
 現在私は大阪と滋賀に事務所を構える税理士法人に勤務しており、3科目ですが税理士試験も合格しています。
 そんな私ですが、数学は大嫌いです。未だにシグマが出てくるともうイヤになります。数学Ⅰと数学Aは必履修科目なので、それだけは嫌々ながらも1年生の時に取りましたが、数学Ⅱも数学Bも取っていません。ベクトルとか言われても困ります。
 そんな数学嫌いでも、簿記ならじっくり勉強する事ができました。その後簿記の専門学校に通い、いつしか会計という数字の専門職に就くようになるわけですから、人生わからないものです。
 
 たまに「なんで会計事務所に就職したんですか?」と聞かれ「高校で簿記を習って、自分に合ってた」と答えたら「普通科でも簿記を勉強するの?」と言われる事があります。
 普通科生でも簿記を選択する事ができ、しっかり勉強する事ができる。それが単位制である中央高校のメリットでした。
 
  1. 2013/05/19(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.14

2001年度卒業 単位制 男性 16歳(入学時)


「よく卒業できたね」
みんなから言われた。


実際、言われるだけあって、授業をサボりまくってたから。
授業で知り合った、いつものメンツと、カラオケ行ったり、ゲーセン行ったり、公園で馬鹿話したり…。


一年次の頃は寝坊が多くて、必履修もいくつか落としていたし。


そもそも、別に卒業できなくてもいいと思ってた。



前の高校は、半年で中退した。
私立の、いわゆる進学校。周りにのせられて、自分なりに頑張って勉強して、なんとか滑り込んだ。


でも、猛ダッシュしてたどり着いたのは、ゴールではなくてスタートラインだった。
燃え尽きた俺には、第二レースを走る気力も体力も残ってなかった。


高校を中退して、しばらくブラブラしていた。
中学時代のツレも付き合いが悪くなり、面白くもない日々だった。
けど、何がやりたいわけでもなく、どうしたらいいかもわからなかった。



ある日、あんまり口をきかなくなった親が「見るだけ見てみろ」と一冊のパンフレットを置いていった。


そのまま当分放っておいたんだけど、ある時ふと手にとってみた。
温水プールが地下にある、八階建ての学校。
制服もないし、授業も選べる。


少しだけ興味がわいた。
ここなら行けるかもしれない。合わなかったら、また辞めたらいいんだし。


本音を言えば、この日常から、とにかく抜け出したかった。



入学してみて、やっぱり学校だから嫌なこともたくさんあった。
でも、そこそこユルさがあったから、辞めずにすんだ。


そして、気付いたら何となく中央になじんでいた。



あっという間に三年次。卒業は絶望的だった。
同級生の半分以上は卒業していったけど、大して気にはならなかった。


すでに一年遅れてるわけだし、あと一年遅れたところで、別に何ともないと思ったから。
急いで卒業して、やりたい事もなかったし。


四年次はあまり授業もなかったので、バイト漬けの日々だった。
そのなかで、やってみたい仕事も見つかった。



そして、無事卒業。
ちょっとは自信取り戻せた気がした。


無理しなくても、ボチボチでも、とりあえず前に進み続けたら何とかなるって。


あれから十年が過ぎた。
俺は、いつしか自分の店を持つことを夢見て、調理師をしている。


いつになるか、わからないけど(笑)



中央のことは、ときどき思い出すことがある。
あれが、俺のリハビリ期間だったのかなぁ、と。

あの頃がなければ、今の俺はないような気がする。
これからも、当時の俺のように行き詰まったヤツらのための受け皿として、存在し続けて欲しいと願っています。







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  1. 2012/06/10(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.13

「中央高校に入って良かったこと」
2007年度卒業 単位制 女性 22歳(入学時)

 
 平成23年、私は再び中央高校に戻ってきた。
 
 私が中央高校に入学したのは22歳の時。
 中学の時に不登校になり、私立高校に入学したが、通えず中退。
 その後、定時制高校に入学したが合わず、二年の時、中央高校に転校してきたのだ。
 
中央高校の教室

 
 中央高校での2年間は、大学に行きたかったため、勉強中心だった。
 良い先生方との出会いが私を良い方向へと導いてくれた。
 中央高校の先生方は生徒との距離が近く、優しい方ばかりだった。
 とくに、英語の先生には大変お世話になった。
 行きたい大学の勉強ができるように、先生の方から勉強法を教えて下さったり、授業中も質問に丁寧に答えて下さった。
 
 そのような先生方を見て、私も先生になりたいと思った。
 そして、私はその夢を叶えるために、教育実習で中央高校に帰って来た。
 中央高校の先生はやはり温かい。
 今度は一人前の教師として、ここに戻って来られたら、こんなに嬉しいことはない。
  1. 2012/02/12(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.12

「ボクが中央高校に入ったワケ(下)」
2004年度卒業 単位制 男性 15歳(入学時)

 
 中央高校は後ろ向きな理由で選んだ学校でした。自分の居場所がないと感じていた当時の私にとって、地元の皆と同じ高校への進学は選択肢にありませんでした。
 
 友達はもう要らない。誰とも関わりたくはない。逃げるように選んだその場所で、自分の殻に閉じこもり、塞ぎこんだ毎日。その当時の記憶があまりないのは、そのせいなのかもしれません。
 
 そんな中で、同じ目線で接してくれる友達ができて、必死に理解してくれようとして味方になってくれた先生がいて。当時、医師の反対を押し切って修学旅行に行くことができたのは、「私が責任を持って面倒を見ます」そういってくれた先生がいたからでした。
 
 その後、その先生の呼びかけで、文化祭で和太鼓を演奏することになり、毎日の練習の中で少しずつ自分というものを出せるようになっていったように思います。演奏後、皆で輪になってそれぞれが自分のことを語り合った日のことは今でも忘れません。どうして中央に来たのか、これまでに何があったのか。感極まって泣いている子もいました。私も自分のことを吐き出して、ぼろぼろと泣いてしまいました。
 
 立場は違えど、同じような傷を抱えていることを知ったとき、こんな自分のために泣いてくれる子を見たとき、自分の中で何かが変わった気がしました。その時、現実から目を背け、逃げ出すように選んだ中央高校で、前に向かって進んでいる自分に気が付いたのです。
 
 その後、文化祭で演奏したメンバーの中から有志で太鼓同好会を創部。今思い返すと、私の高校生活はここから始まったのかもしれません。8階格技室。練習場所になったこの場所は、私がずっと求めていた場所でした。友達、仲間。ずっと欲しかったもの。でもそれは気付かなかっただけで、退院したあの日も、今も、目を開けばずっと近くにあったものでした。
 太鼓同好会。それは私の居場所であり、中央高校と出会った意味であり、自分が生きているんだという証と感謝の思いを打ち鳴らす場でした。
 
 
 深い深い山を越えて、伝えたかった想いがある。
 
 打ち鳴らす音色。
 それは響き渡る鼓動のように。
 
 奏でる音色。
 それは吹き渡る風のように。
 
 君の心へ。その心へ。
 
 ありがとうよ“響”け。
 

 
 何も変わらないだろうと諦めていた高校生活は、私の何かを変えてくれました。本当は自分でもわかっていたんだと思います。だけど理解しようとしなかった。認めるのが怖かった。中央高校と出会ったことで、自分の中の過去と向き合い、少し強くなる事ができたように思います。
 
 今過ごしている時、これまで過ごしてきた時、そしてこれから過ごすであろう時。限られたなかで自分に何ができるのか。中央高校に入ったワケをずっと伝えたいと思っていました。私は今、生きているのだから。
  1. 2011/12/11(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.11

「ボクが中央高校に入ったワケ(中)」
2004年度卒業 単位制 男性 15歳(入学時)

 
病名が告げられた日、それがどんなに深刻な状況なのか、ボクには理解できなかった。ただ、両親が人前で泣いているのを見て、ボクも泣いた。
 
 少年野球団の卒団式。ありがちな夢だけれど、ボクは「プロ野球選手になる」と言った。それ以外にも、やりたいことや目標はたくさんあった。
 
ひとつ。またひとつ。出来たことが出来なくなって、やりたいことがやれなくなった。認めたくない現実が次々と押し寄せる。だけど、不思議と自分が死ぬ気はしなかった。こんなつらいことはずっと続かない。きっと良くなる。すぐに学校に戻れる。だから今は戦っていこう、ボクはそう決めた。でも、振り返ると自分が自分でいられない気がした。
 
 あの日からどれくらいたっただろうか。ボクはどうやら中学3年生になったらしい。そろそろ進路を考えないといけないそうだ。ただ、学校側は留年を勧めてきた。まだ答えは出していない。
 
 ついに退院できる事になった。3学期からは学校にも通えるそうだ。とても元通りの元気な体とは言えないけれど、ようやくボクは帰ってきたんだ。みんなが待つこの場所へ。
 
 
 ただいま。
 
 帰ってきたその場所にボクの居場所はなかった。
 
 ボクはここだよ。ボクを見てくれ。
 君の心にボクはもういないのかい?誰の心にもボクはもういないのかい?
 止まってしまった時計はもう、同じ時間を指すことはないのかい?
 
 そうか、あの時ボクは死んだのか。
 
 だったらボクは遠くへ行こう。君のいないところへ。誰もいないところへ。
 

 
 考えてみれば分かる。ボクの時間は1年生のあの時のままだ。ボクの心もあの時のままだ。みんなとはもう、立っているこの場所が違うのか。ボクはもう「友達だった誰か」なんだ。
 
 取り残された気がして怖くなった。人が怖くなって、自分が認められない世界が怖くなった。気を遣われたり、「可哀想に」そんな言葉がどんな検査の苦痛よりもずっとずっとつらかった。
 
 毎日毎日、3年分を一生懸命勉強して、ボクは進学する事を決めた。前に先生が教えてくれた単位制の学校だ。
 
 必死に自分を騙して、ボクは前に進んでいるフリをした。
 
(思い出リレー vol.12につづく)
  1. 2011/10/09(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.10

「ボクが中央高校に入ったワケ (上)」
2004年度卒業 単位制 男性 15歳(入学時)

 
 私は13歳の時に病気を患い、中学生活の大半を病院で過ごしました。一命は取り留めたものの、学校に戻れたのは卒業前の中学3年生の3学期。しかしながら、周りとの時間や心の隔たりは大きく、ここに自分の居場所はもうないんだと思うようになっていました。
 
 学校側からは留年を勧められましたが、進学を決意。ちっぽけなプライド。でもそれ以上に、もう足を止める事が怖くて仕方がありませんでした。
 
 中央高校を選んだのは、体調に合わせた時間が組みやすいから。でも本当は、ただこの場所から逃げ出したい。どこか遠くへ行きたい。そんな気持ちでした。
 
 ただいま。
 
 帰ってきたその場所にボクの居場所はなかった。
 
 ボクはここだよ。ボクを見てくれ。
 君の心にボクはもういないのかい?誰の心にもボクはもういないのかい?
 止まってしまった時計はもう、同じ時間を指すことはないのかい?
 
 そうか、あの時ボクは死んだのか。
 
 だったらボクは遠くへ行こう。君のいないところへ。誰もいないところへ。
 
 きっと何かが変わるだろうと思っていた中学生活も、特に変わった事はなく。ただ平凡な毎日を過ごしていた。小学校の頃、少年野球団に所属していたボクは、中学校でも野球部に入った。所謂弱小野球部で、頑張れば一年生のボクでもレギュラーが取れそうである。
 
 13歳。中学生になって初めての夏。ここのところ体調が良くない。微熱も続いている。なんだか動く事も辛くなって部活の練習についていけなくなった。しかし、休むわけにはいかない。せっかく手が届きそうなレギュラーの座が危ういじゃないか。同期の連中はボクよりうまいやつばかりだ。なにより、やれサボりだ、ずるだと下手糞な先輩たちに馬鹿にされるのである。練習のあと、毎日どうやって家に帰ったかは覚えていない。母の話によると、帰るなり玄関で死んだように眠っていたそうだ。
 
 季節が秋になった。山が近いので季節の変わり目はすぐわかる。相変わらず微熱が続いている。体のダルさも前にも増して酷い。これまで何度か病院に通ったが、今日は精密検査をするらしい。診察室に呼ばれて、先生が何だか難しそうな顔をして言った。「検査結果に異常があります。紹介状を書きますので、大きな病院に行ってください。」
 
 病院の帰り道、母は明るく振舞っていたが、ボクにはもう何となく分かっていた。思い当たる節はいくつかある。ただ、まさか自分が、という思いもある。
 
 山の木々は徐々に枯れ、季節は冬へと向かっていた。
 
(思い出リレー vol.11につづく)
  1. 2011/09/11(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.9

2004年度卒業 単位制 15歳(入学時)
 
 今振り返ると、中央高校は人生の出発地点だったと思います。
 
 大阪の北部から1時間半位かけて通学していましたが、田舎者なので全てが刺激的で毎日が楽しかったです。
 
 当時テニス部に所属していて、部員や先生達と楽しく活動していました。海外でテニスをしていた先輩に教えてもらい、本気でプロになろうと思ったこともありました。3年の時にはみんなの推薦で部長をやらせて頂きました。部員の事を考えて練習内容を検討したり打ち方などの実技指導を行ったり、とても貴重な経験ができました。
 
 卒業時には数あるクラブの中からテニス部と女バス(女子バスケットボール部)が選ばれて、体育連盟から功労賞を受け取りました。
 
 今だから言えますが、その頃女バスのキャプテンが好きだったので、自分とその人が選ばれた時は凄く嬉しかったです。賞を受け取る壇上で少し会話ができたことも、良い思い出です。
 
 テニスに出会えたこと、そして良い友達に出会えたことは、僕の財産だと思っています。
 今はあまり中央に行けませんが、また時間を見つけて遊びに行きたいと思います。
 
 それでは。
  1. 2011/08/14(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.8

2003年度卒業 単位制 男性 15歳(入学時)
 
 どうもです!
 
 もともと制服や規則が嫌いな自分は、もちろん学校に行く事も嫌いで、最初はこの高校もやめるために入ったような感じでした。しかも自分の家は田舎の方で、学校までは片道1時間半の道のり。
 
 でもそれが楽しかった!
 
 田舎もんにはこの大阪の中心にある学校が刺激的で(自動ドア+エレベーターの校舎とか)学校を抜ければ近くにマクドや百貨店、漫画喫茶にコンビニ等…よく授業を休んで遊んだりもしていました(すいません↓)
 
 でも、やっぱり、一番の思い出は色んな友達と出会えた事です。自分はもちろん、この学校を選んだみんなは、それぞれ違った問題や同じような悩みを持ってました。そういった仲間と、授業や休み時間やクラブ活動を通して友情をはぐくんできました。
 
 中央高校には普通の高校にあるような、汗や涙や分かりやすい青春みたいなものはあまり無かったけど、もっとそれ以上に濃いものというか、なんかそんなものをもらいました。
 
 とにかく、楽しかった!
 
 今思えばまさしく一瞬一瞬が青春だったなぁとしみじみ思ったり。あ、意外と校外学習が面白かったかも! USJ行ったり、ソーセージ作ったり、ポルトヨーロッパ行ったり、(あと食堂のから揚げ定食の味とか)そんなん思い出します。
 
 そんなこんなで、やめる為に高校に進んだようなアホな自分でしたが、中央高校のおかげで気づけば高校も大学も卒業して、教育実習生としても来させてもらいました。卒業してからも、後輩とは交流があったので、後輩に授業を教えるという不思議な感覚を味わえました。
 
 その時に改めて感じたんです。ここの高校の子はみんな良い子だな、と。
 
 本当に先生方にはとってもお世話になりました。ありがとうございました!これからも中央高校の卒業生として、恥ずかしくないよう頑張って行く感じで…
 
 また遊びに行きます! 以上。。
  1. 2011/07/10(日) |
  2. 思い出リレー

思い出リレー vol.7

2008年度卒業 単位制 15歳(入学時)
 
 私は人と話すのが苦手だったので、単位制の中央高校で友達ができるのか、最初は不安でした。でも授業ではクラス以外の人とも学年を問わず交流する機会が多く、たくさんの友達ができました。スポーツ大会や文化祭などの大きな行事でも、学年やクラスなど関係なくチームを組んで参加することで、様々な出会いがありました。たくさんの人と交流することによって、人と会話するのはとても楽しいということを教えていただきました。
 
 勉強も高校に入るまではとても苦手だったのですが、授業では先生方がとても丁寧に教えて下さって、だんだんと好きになれました。今は無事に大学に進学し、多くの友達もできました。そして自分の夢を実現させるために頑張っています。
 
 人との交流が苦手だった私が、人と接する大切さを知ることができたのは、中央高校で出会えた友達や先生方のおかげだと思います。中央高校で高校生活を送ることができて、本当に良かったと私は思います。
  1. 2011/06/12(日) |
  2. 思い出リレー
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